PAMを売った

Pam とは私の愛車、1999年式フォレスターの名前。私ではなく前のオーナーさんが付けたこの愛称は、チェリーレッドの四角い車体の渋さにピッタリだったので、そのまま引き継いだ。

Pamは、私にとって「自立」というか「個の確立」を象徴していたと思う。


なんせ、アメリカ生活で初めての大きな買い物だったから。それもどこかへ働きに出て貰ったお金ではなくて、「自分でつくり出した仕事」で稼いだお金で買ったもの。

もちろん、どこかへ働きに出るのは悪いことではない。というか大変に立派なことだと思う。ただ、私には色んな事情でそれができなかった。そこで、なんとかかんとか、息も絶え絶えに辿り着いたのが「自分の仕事をつくる」という選択で、そこから得た収入で車一台(と言っても30年モノの中古車だけど)を買えたのは、自分にとってほんとうに大きな一歩だったと思う。

Pamが来てからというのもの、運転恐怖症の私がちょくちょくハンドルを握るようになった。行き先はもっぱら5分先の公園と10分先のスーパだけだったけど、運転席に座ると、Pamはいつも私をいっちょまえ気分にさせてくれた。

いつか、本当に運転恐怖症を克服して、ルート66みたいな砂漠道をPamに乗って爆走するんだ!とか、Pamに乗って隣街の大きな本屋さんに行くんだ!とか、色々と夢も持っていた。

そんなPamを、売った。

小さな小さな家族の新メンバーを乗せて走るには、年季の入ったPamはちょっとだけ頼りなく、心配性の夫はピカピカのハイブリッドカーを家族車として購入した。だからPamはお役御免となったのだ。

私がPamにどれだけ愛着を持っているか知ってる夫は、「車庫で保管しておいて、気が向いた時にドライブに出せば良いよ!」と明るく説得してくれたけれど、私はやっぱり売ることにした。

だって気付いたから。Pamを売ることを躊躇してた一番の理由は、Pamそのものの価値よりも「Pamが象徴してるもの」を手放したくなかったから、ということに。

冒頭に書いた通り、Pamは私の「自立」と「個の確立」を象徴していた。

Pamは「移民になり自分のアイデンティティを失う」という経験を、私が自分なりにプロセスしてきたことを思い出させてくれたし、この国でも「自分だけのもの」があるよ。自分のスペースがあるよ。という安心感をくれた。

だからPamを手放すということは、私の頑張りや苦労、そして自分の「個」の結晶と証拠が無くなってしまう!と感じたのだと思う。

でも、物的証拠(と物騒な言い方になるけど笑)が無くなったからと言って、私の頑張りや苦労が消える訳じゃないし、いきなり私の自立心や改めて築いた個がヘナヘナと無くなってしまう訳でもない。

私の生きる強さと底力は私が一番よーく知っていて、それは車庫に3トンの鉄の塊が鎮座していなくても、いつでもちゃんと思い出せる。

だからPamを売った。

半年前に出産した私は、新たなアイデンティティを取り巻く悩みや成長痛、喪失と付き合いながら生活している。でもPamを手放す過程で「よくやったね〜自分。一回ゼロから築き上げられたんだ、またきっと起き上がれるよん。」と最強の後ろ盾を得たので、きっとダイジョーブだろう。

自信って「自分は最高!自分はなんでもできる!」と思うことではなくて、「自分なら何があっても大丈夫。倒れてもまた起き上がるっしょ。」と自分に対して信頼を寄せることなんだろう。と改めて思った。

P.S
Pam、ありがとう〜!

“PAMを売った” への1件のコメント

  1. […] 珍しく赤子がまとまった時間昼寝をしていたので、私は水を飲むのもトイレに行くのも忘れてエッセイ「Pamを売った」を書き殴った。 […]

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